「自信を持て、って言われますけどね、私は「自分がダメなヤツ」と」認識してからすべてが始まったんですよ」
と、その経営者は言った。
「私はね、貧乏な家庭に育ちました。それこそね、大学へ行くお金もなかったくらいです。いや、食うや食わず、ってわけじゃなかったですけどね、オヤジがあまりうまく働ける人じゃなくてね、母は随分苦労していたみたいです。
で、私は高校を出てすぐに働き始めました。ある製造業の営業マンとしてね。今なら大卒しか雇ってくれないでしょうが、当時の私は怖いもの知らずで、知り合いの人に頼み込んで、なんとか働かせてもらったんですよ。
もう家に負担はかけられない、そんな思いでした。
当時はお金がとにかく欲しくて、夜遅くまで一生懸命働きました。営業は働けば働くほど成果が出る職種で、しかも成果主義じゃないですか、当時は稼げるのが楽しくてね、成績で一番を取ると、金一封が出るんですけど、それがほんとうに楽しみでした。
今の人は「お金なんか要らない」っていいますけど、それを聞くたびに「日本は豊かになったんだな」と染み染み思います。いいことなんでしょうけどね。
でも、私はお金がとにかく欲しかった。後輩や新人をビシビシしごいて、「なんでお前はこんなカンタンなこともできないんだ」って、毎日言ってました。
仕事のできない奴は、アホだバカだって、罵倒したこともありました。「頑張れない」とか言うのは単なる言い訳だっておもってました。
10年くらいそこで働きましたかね。生活も安定して、母親に恩返しも少しはできていたと思います。
ところがです。
これからもっともっと頑張って行かなきゃ、と いう時期に、なぜか急に仕事がものすごくつまらなくなった。朝起きると、仕事に行きたくなくてしょうがない訳ですよ
はっきりといつから、というのは覚えていないんですが、会社に行きたくない。仕事もしたくない。あれほど向上心に燃えていたのがウソのようでした。
結局、ある程度お金が溜まってきて、生活も安定して、母も安心させてあげることができて、人生の目標が急になくなってしまったとわかりました。
何の事はない、私も普通にナマケモノだったんですよ。お金が手元にあれば、できるだけ働かずにすむようにしたい、休みたい、そんなことばかり考えていました。
私にとって、働きがいはお金と安定でした。それこそが子供の頃から欲しかったものでした。
でも、手に入ってしまった。
今の若い人たちが、うまく働けないのはよくわかります。働かなくてもそれなりに幸せなんです。私もそうです。結局、切羽詰まらないとなにもしないんですよ。
そうして、うだうだしているうちに会社に行かなくなってしまって、結局会社を辞めてしまいました。30手前になって急に働きたくなくなるなんて、バカみたいでしょう?でも、仕方ない。緊張の糸が切れてしまった、っていうところなのかもしれません。
いや、そりゃもう自己嫌悪ですよ。「自分はダメな奴だ」ってね。
でも「ダメな奴」ってわかったら、そこからなんか楽になったんですよ。トップじゃなくていい、できるふりをしなくていいって。
それからなんとか、仕事に復帰しました。仕事のやり方や、指導の仕方も180度変わりました。だれでも急に仕事ができなくなったりする可能性があるわけですよ。努力できないのは本人の責任もありますが、そうとばかりも言えない。
そうしたら力が抜けて、全部自分でやろうとしなくなりました。得意なことはこちらから進んで引き受けて、苦手なことは協力を仰いで。人と働くのが、こんなに面白いなんて知りませんでした。
あと、面白いことに、仕事に復帰して「できない人」をベースに仕事を考えるようになったら、もっともっと成果が上がるんですよね。これは発見でした。
営業をやっているとわかりますが、これは社内だけじゃなくて社外も同じなんですよ。社外の人はコントロール出来ないですから、担当者が「できない人」の時はケツを叩いてもダメです。
それまでは動かないのでさっさと見切りをつけていたお客さんも、言い方は良くないですけど「そんなダメな人を助ける」ことで数字にすることができるようになったんです。
できない人がいるなら、できるように環境を変えたり、工夫をすれば良い。そもそもできる人をベースに仕事を考えるのは、普通の中小企業ではあまり良くないことなんだって、わかりました。
しばらくして私は独立しましたが、いまも、その考え方で会社をやっています。まあ「できる人」にはわからないかもしれないですが。」
最後に彼は言った。
「仕事ってのは、金を稼ぐ手段ですけど、言ってしまえばそれ以上の意味を見いだせるかどうかは、本人にかかっていると思います。
仕事がつまんない、って人は多分、仕事において人とどう関わるかがなかなか見えていないんじゃないかと思います。スキルも大事ですが、職場の人を尊重して、一緒に成果が出せれば、どんな仕事でも楽しくなるんですよ。」
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