「みんなの意見は「案外」正しい」という本がある。集合知について書かれた本である。
インターネットの発達が集合知を集めやすくしたため、よく「一部のエリートや天才の意見」と、「大衆」はどちらが正しい判断を下すのか、という議論がなされる。
Googleのページランクや、Amazonのレビューのシステムは、「集合知」を体現したシステムの成功例であるが、その成功が華々しかったため、しばしば「天才よりも大衆の意見のほうがより正しい判断を下す」などと言われたりする。
だが、本当に「天才」と「大衆」を比較した場合「大衆」がより賢明な判断を下すのだろうか?「衆愚政治」などと言う言葉もあるが、なぜ賢明なはずの大衆が、しばしば過ちを犯すのか?そういった疑問にある程度答えているのがこの本である。
結論から言うと、「ある一定条件を満たした場合」のみ、大衆は天才よりも賢明となりうる。その条件とは、
1.多様性(各自が自分の意見を持っている)
2.独立性(他者の考え方に依存しない)
3.分散性(各自が異なった情報や環境を持っている)
4.集約性(意見を集約できる仕組みがある)
以上の4条件を満たした時だというのだ。これを満たす集団は「賢い集団」であり、これを満たさない集団は「愚かな集団」であるという。
しかし、よく見るとこれは非常にハードルが高い条件だ。特に企業においては、「多様性」の確保だけでもかなり難しい。さらに、「分散性」についても、同一の企業内においては実現するのが困難である。
なぜならば、1.~3.を満たすような社員は、経営者にとってたいへん扱いにくいからだ。
上司の意見は必ず吟味され、顧客の意見からは一定の距離を置き、統一された理念を拒否する。そんな社員ばかりの企業が果たして存続し得るのか?
一方で、「同一の考え方を持った仲間といっしょにいたい」という欲求と、「人を支配したい、影響を与えたい」という欲求を人は持っている。上の条件と、この欲求は相反することが多いだろう。一つの企業でこれを実現することは難しそうである。
従って、人の持つ個人的な欲求を抑え、出来る限り「バラバラでいること」が「賢い集団」の条件であれば、この仕組は企業内で持つよりも、企業間に適用したほうがよさそうだ。すなわち、「一つ一つの企業は凡庸」であっても、「多様性、独立性、分散性」を持つ企業同士であれば、それを「集約」できる取り決めやルールがあるかぎり、賢い意思決定ができる。
知識社会は、企業間の「競争」ではなく、「連携」を制したものが、未来をつかむことができるのかもしれない。