リクルートが今年の就職活動から、OpenESという電子媒体を用いた履歴書を導入した。現在の就職活動は何十社と応募することが普通(日経就職ナビ)なので、もし履歴書を紙媒体で全て書くとすると、何十枚と履歴書を「手書きで」書かなくてはいけない。
一つの履歴書をまじめに誤字脱字無く書こうとすると、一枚につき15分から30分程度はかかるだろうから、80社エントリーしたとすれば、合計40時間を履歴書を書くことだけに費やすことになる。したがって、OpenESを用いた履歴書は学生にとってはありがたい話だろう。
以下の記事によれば、約3分の1程度の会社がこれを導入しているようだが、逆に考えれば、、3分の2の会社はまだ「手書き」を学生に要求しているということだ。
ネット上では賛否両論?リクナビの新機能「OpenES」使用上の注意点(Yhaooニュース)
実際、「手書き」と、電子履歴書のどちらが有利なのだろうか。以下の記事によれば、企業の側から見れば7割の会社は「どちらでもOK」、3割の会社は「手書きのほうが良い」としているそうだ。
「履歴書は手書きにすべきか」議論に終止符を打つ 結論とその理由は……(Jキャスト)
以上のデータを見ると、まだまだ「手書き神話」というものは存在しており、どの会社に対しても無難に書類選考を通したいであれば、「手書き」をするほかはなさそうだ。
しかし、なぜこれほど多くの会社が「手書きの履歴書」にこだわるのだろうか。
多くの「手書き派」の方に聞くと、「文字から人となりがわかる」といった意見や、「手抜きは許さない」、あるいは「熱意が伝わる」といった意見まで数多くある。
しかしこれらはあまり合理的な意見ではない。人となりが文字からわかるのであれば、面接をする必要はないし、学生に配慮するなら40時間も履歴書に使うのではなく、勉強やその他生産的なことをしてもらったほうが学生にとっても良いはずだ。
しかしだからといって、「手書き派」が悪だとする事はできない。これは論理ではなく、「感情」の問題だ。
手紙と同じように手書きの履歴書には心がこもっているように見える。あるいは、自分たちのために「手間をかけてくれた」ことを喜ぶ人はたくさんいる。
したがって、手書き派は「あえて手間のかかることを行うサービス精神」を学生に望んでいるということだ。
上の記事では
”履歴書は手書きが好ましいと考えるのは、非合理な組織かどうかの、とってもわかりやすいリトマス紙です。”
と書いているが、必ずしも非合理な組織とは呼べない。商売上、「サービス精神」を重要視している会社も数多くある。
ただ、私個人の考え方としては、電子履歴書はスタンダードとなると思っている。
なぜか。それは、「学生と企業の力関係」がかつては 学生<企業 だったのが、現在は 学生>>企業 となっているからだ。
もちろん人気の企業においては相変わらず学生は「選ばれる側」にある。しかし、それでも現在の学生は一昔前の学生よりもはるかに選択肢が多い。まして、面倒な「履歴書の手書き」を強要するような会社には多くの人が「応募すらしない」ということは十分に考えられる。中小企業などは言うに及ばずだ。
さらに、リクルートなどの人材マッチングサービスはその媒体を利用している企業が競争すればするほど儲かるのであるから、「学生をできるだけたくさんの会社にエントリーさせたい」と思っているはずだ。そのためにはOpenESのような電子履歴書を学生すべてが利用してくれたほうが都合が良い。だから、OpenESを採用した会社をリクルートは優遇するだろう。
また、人となりを知りたいなら履歴書よりもSNSを見たほうがよく分かる上、友人関係なども見ることができる。その結果、手書きの履歴書はますます廃れていくだろう。
「手書き」と言うのは、古き良き時代へ対する憧憬に過ぎない。今は過渡期ということだろう。