先日、若新雄純氏の『創造的脱力 かたい社会に変化をつくる、ゆるいコミュニケーション論』(光文社新書)の一節を読んで衝撃を受けました。心理学者アブラハム・マズローが提唱した「5段階欲求説」という有名な理論が、誤解され広まっているというのです。
簡単に説明すると、5段階欲求説は人間の欲求は5段階に分かれていて、一つ一つ階段を上るように欲求を満たすという理論です。最初の4段階は「生理的欲求」「安全の欲求」「所属の欲求」「承認の欲求」から成っており、この順番に欠乏欲求を満たすといわれています。
最後の5段目は「自己実現の欲求」と呼ばれ、他の4つとは別格の高次元な成長欲求とされています。 この理論は組織経営論やマネジメントの世界でもよく使われます。
ですから、「どうしたら社員のモチベーションを上げることができるのか」という経営者の悩みに、しばしば経営コンサルタントはこのマズローを引用して、意気揚々と答えます。
「マズローの5段階欲求説によると、人は自己実現に向かって成長階段を登っていきます。最終的には自分自信で目標を設定させ、達成するために何をすべきか、一緒に考えていくことが大事です!」と。
実際社内を見渡せば、志を高く持ち、その志を実現すべく努力を惜しまない成長意欲の高い人材が評価される。そんな世の中だと思っていました。しかし、慶應義塾大学特任助教で人材コンサルタントでもある著者の若新さんはこう言及しています。
しかしながら、これは実はマズロー自身が描いたものではなく、多くのマズロー研究者によって「自己実現理論への誤解」も指摘されています。
(中略)
もしかすると、「自己実現」という訳語がその原因かもしれません。日本語の「実現」には、「計画や期待が現実のものとなる」という「結果の状態」を指すニュアンスが強く含まれています。
しかし、自己実現は原語では、「Self-Actualization」であり、そのまま訳せば「自分が実際のものになる」です。つまり、真の自己実現とは社会的な要求に応えたり、自分の思い込みの理想を現実化したりすることではなく、人間本来の自然で多様な姿、「ありのままの状態」を体現し続けることです。
要は、無理に志の高い目標を設定したり、会社や周りの求める像になろうと必死に努力することが自己実現ではないのです。むしろ、自分のコンプレックスやエゴとか、なかなか認めたくない部分を受けいれながら、毎日を生きていこうという意味なのです。
周りの期待に合わせて必死に努力するのも辛いですが、嫌な部分も含めてありのままの自分を受けいれることの方が、本当の意味で難しいのかもしれませんね。
−筆者−
大島里絵(Rie Oshima):経営コンサルティング会社へ新卒で入社。その後シンガポールの渡星し、現地で採用業務に携わる。日本人の海外就職斡旋や、アジアの若者の日本就職支援に携わったのち独立。現在は「日本と世界の若者をつなげる」ことを目標に、フリーランスとして活動中。