「コミュニケーション」については、非常に苦労している人が多い。ちょっとベストセラーを覗くだけでも
- 人に好かれる方法
- 部下を動かす方法
- 人の心をつかむ方法
- 人を説得する方法
など、「お手軽にコミュニケーションの秘訣を学べる本」が売れている。
さて、このような本に価値があるかどうかはひとまず置いたとしても、「コミュニケーション」について何かしらの法則や、知見がほしいと思うのは当然だ。
ピーター・ドラッカーはコミュニケーションについての洞察をその著書である「マネジメント」にて行っているが、そこに面白い実験が取り上げられている。
”100年ほど前、何人かの心理学者が単語を使って記憶力を実験した。連想させるものによって、記憶に差があった。しかし驚いたことに、アルファベットを並べただけの意味のない単語がかなり良く記憶された”
”同様に、新聞の編集者の間ではよく知られたこととして、紙面の余白を埋めるために使われる大した意味のない数行の埋め草がよく読まれ、記憶される。誰も知らないある公爵の城で、左右色違いのくつ下が流行し始めたなどという記事を、誰が読みたいと思うだろうか。ましてやそれを記憶したいなど論外である。(中略)しかし、それらの埋め草が大事件を報ずるトップ記事に次いでよく読まれ、記憶される”
ここでドラッカーが取り上げているのは、
「読者の関心と関係がないものほど、よく読まれ、記憶される」
ということである。
そして、ドラッカーはこう続ける。
”コミュニケーションとは常に宣伝である。(中略)コミュニケーションは受け手に何かを要求する。受け手が何かになること、何かをすること、何かを信じることを要求する。”
よって、「コミュニケーション」を常に取ろうとする上司は、「正直言って、うるさい」と思われる可能性は高い。
「もうオマエの宣伝は聞き飽きた」
「いまはいっぱいいっぱいだから、もう何も言ってくれるな」
そう思われる。
”宣伝がもたらすものは、狂信ではない。(中略)冷笑である”
とは、真理を突いているようにみえる。
どうでも良いニュース・記事ほど読者に要求するものは少ない。したがってよく読まれ、記憶される。逆に、関心のある領域、仕事の話などに関しては、心に余裕のあるときにしか読みたいとは思わない。
それが人間であり、コミュニケーションの真実だ。
人を簡単に動かす方法を実践するのは、やめたほうが良い。そのうち誰からも冷笑されるようになる。