a0008_001843諫言の士、という言葉がある。リーダーのみならず、人にはその行動を諌める忠臣が必要だという話だ。しかし諫言することは恐ろしく難しい。

例えばあなたはここ半年くらいの間に、「耳に痛い話」をされたことがあるだろうか。そして、仮に耳に痛い話を聞いた時、否定せず、あるいは怒らずにそれを受け入れることができただろうか。

おそらく無いだろう。

それは、あなたが無謬であることの証明ではなく、あなたに対してだれも諫言できないことの証明である。

 

したがって、「自然のままに任せて」いても、耳の痛い話は決して聞こえてこない。自分から耳の痛い話を求める必要がある。

しかも、「なんでも言ってくれ」という無責任な発言ではダメである。「諫言」は極めて多くのエネルギーを必要とするため、真にその人のことを信頼していなければ諫言などしない。

「頼む、聞かせてくれ」というように請わなければならない。

 

ハロルド・ジェニーンという有能な経営者が1960年台のアメリカで活躍していた。彼はITTという世界80カ国以上に及ぶコングロマリットの総帥であったが、その帝国は20年近くの期間に及び、大成功を収めた。

彼はその著書である「プロフェッショナル・マネジャー」にて、このように述べる。

”どんな問題についても、答えや解決法を、聞かれもしないのに教えてくれる者はいない。それはヒエラルキーの中で仲間と円満にやっていくための掟であり、

賢い人間はそれを破ろうとしないのが普通だからである。”

組織の中の人間はわざわざリーダーに諫言したりはしない。リーダーに具申しようとしていることは間違っているかもしれないし、危険人物であるとみなされる可能性もある。

そういった様々なリスクを乗り越えてリーダーに具申する人間は何も考えていないか、もしくは明らかな隠された利得があるからだ。

しかし、リーダーが一旦聞く気になれば、組織は全く異なったものとなる。

ジェニーンはこう述べる。

”組織の中の良い連中はマネジャーから質問されるのを待ち受けている。なぜなら、彼らはそれに答えることができ、答えたいと思っているからだ。それから初めて両者は一緒に前進することができる。”

 

トップが暴走してしまった組織を止めるのはほとんど不可能である。

そういった組織から去ることは何も恥じる必要はないし、去ったほうが良いケースのほうが圧倒的に多い。

しかしもし、あなたが個人的にトップのことを好きであるならば、諫言の士となることも厭わないなら努力すべきである。

ジェニーンは「暴走した上司」を「エゴチスト」と呼ぶ。

”エゴチストは歩くのもしゃべるのも笑うのも普通人と変わらない。それでも彼はアルコール依存症者がマルティニに酔っているように、ナルシシズムに酔っている。

そして自分の心の中にある先入観または自分自身のイメージに反する情報は受け入れたがらない。

企業の中の強度のエゴチストは、自分の周囲の誰より賢く、なぜかあらゆる物事に対する答えがわかるように天から定められていて、自分こそ支配者であり、他の者はすべて彼に奉仕するために存在するのだと信じている。”

「刺し違える覚悟」がなければ、上司を変えることはできない。それくらいに、上司を変えること、諫言することは難しい。