少し前にアプリストアにおける、あるアプリのレビューが話題となった。「アプリ レビュー 自作自演」で検索すると、そのアプリがわかるが、結構叩かれているようである。
その真偽の程は分からないので、ここに名前は記さないが、レビューなどの自作自演、いわゆる「ステマ」に対する世間の目は厳しい。
”ステルスマーケティング(Wikipedia)
ステルスマーケティングとは、消費者に宣伝と気づかれないように宣伝行為をすること。略称はステマ。アンダーカバー・マーケティングとも呼ばれる。 ゲリラ・マーケティングの1つ。”
また、消費者庁も、「ステマ」に対しては景品法上の不当表示に当たる場合がある、と発表しており、「個別のケースで判断」と書いてはいるが、法律違反であるという見解も匂わせる。
なぜ「ステマ」が拒否されるのか。簡単である。レビューを見る人に対して、「ミスディレクション」を誘うからだ。
レビューの場が上手く機能するためには「客観性」や「中立性」が重要であることは言うまでもない。
それらを損なうような行動はレビューの場そのものへの不信感を強め、結果的にレビューそのものを誰も信用しなくなる。それは、消費者にとって不利益でしか無い。
と、ここまでは「誰でもそう思う」話だ。しかし、この話にはもうひとつの側面がある。
上の話は「アプリの提供側が悪い」という話に終始しそうだが、果たしてユーザーには責任がないのだろうか。
そうは思えない。これはアプリ特有の状況ではなくAmazonのレビューも、食べログのレビューも罵詈雑言を投げつけるだけのレビューは数知れない。
いわれのない中傷から商品を守るため、「火消しのためのステマ」をやらざるを得ない会社もあるだろう。倫理的に許されるかどうかは別としてだ。
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以前にも紹介したが、Googleは、アプリストアのレビューの中立性や公平性を保つため、レビューをSNSのアカウントと紐付け始めた。
”ステマがバレバレに、 GoogleがPlayストアで非公開だったレビュアー評価履歴をいきなり全公開に”
レビューを見る立場として、ステマも見たくないが、罵詈雑言も見たくはない。
「場」の中立性と客観性を保つためには、「発言には責任をもって臨まないといけない場であるが、かと言ってレビューアーが萎縮してもいけない」という絶妙のバランス取りが要求される。
解決するためには以下の記事にあるように、1つは基本的に「実名制にする」こと。
食べログを運営している方に、2つ提案です(ハフィントン・ポスト)
”食べログを運営している方に是非、提案をしたいのですが、例えばフェイスブックのアカウントからでないと投稿は出来ないというのはどうでしょうか?
日本人はやっぱり「顔も名前もわかっているのに、堂々と悪口を言う」という行為は避けます。
そして、「顔も名前もわかっているのに悪口を書く」というのは、そうとう発言に責任を持って、世間に伝えたいことなんだなということがわかるので、投稿に信頼性が持てます。”
そして、2つ目の施策として萎縮を防ぐために「匿名レビューも維持する」こと。ただし、匿名のレビューは実名のレビューと切り離した所に置く。また、匿名のアカウントであっても「信頼性の高いレビュー」は、実名と同列に扱う。
こういった「場」を良くするための不断の努力をすれば、今のような不毛な戦いは避ける事ができるのではないかと思う。もしくは、AmazonやApple、Googleに頼らず良いレビューを集めることができるならば、こういった所にビジネスチャンスがあるのだろうか。