誰しも自分の所属する組織において、「不合理である」というルールを経験したことがあるだろう。
「なぜ、わざわざ報告が必要なのか。どうせ上司は報告など聞いていないのに」
「なぜ、わざわざ承認が必要なのか、どうせ見ないで判子をついているのに」
「なぜ、わざわざ書類が必要なのか、何の役にも立たないのに」
こういったルールは生産性を下げるばかりか、従業員のやる気を損なう場合がある。そして、時に従業員たちはこのルールを「無視する」事によってそれに反抗する。
こうして組織には「有名無実のルール」が増え、結果的にどのようなルールも「個人の主観によって判断される」という状態が出来上がる。
残念ながら、それは多くの人の望む状態とは異なるだろう。そういった状態に陥る前に何とかしなくてはいけない。
さて、このような状態に対して「経営者」は、2種類の判断の選択肢がある。
「悪法も法」になぞらえて、「ルールはルールなのだから守れ」という人物、そして、「実際に役立つものなら守ろう」という実用主義的な立場を取る人物だ。
どちらが望ましいのだろうか。
これに対して、哲学者のイマヌエル・カントはその著作「啓蒙とは何か」の中でそういった事象に触れている。
カントの主張は唯一つである。経営者は社員にこう言うべきである。
「君たちはいくらでも、また何事についても意のままに論議せよ、ただし服従せよ!」
そのルールについての批判や、提案については好きなだけ、何を言ってもよい。しかし、ルールがルールである間は必ず守るベし、というのだ。
彼はその理由をこのように述べる。
「社長(立法者)の威望は、社員(国民)の総意を自分の思惑と統合することで作られるからだ」
社長はそのルールに従う社員たちの意見を吸い上げなくてはならない。
また、社員は自由な議論の場では闊達な意見交換をしてよいが、ルールには服従する。そういった基本的な振る舞いは、200年も前から変わらず推奨されている。