経営とはなにか、経営に正解はあるのか。その問に多くの人が答えようとしてきた。
例えば、ビジネス・スクールでは経営を学ぶときに、「戦略」や「マーケティング」、あるいは「財務」などを学ぶ。
しかし、多くの人が指摘するようにビジネス・スクールで学べば経営ができるようになるのかといえば、そうではない。知識として必要ではあるが、経営の本質とは異なる。
我々に必要なのは、そういった断片的な経営の知識ではなく、「経営とはなにか、何をすべきか」ということに対しての解答だ。
そのように考えていくと、かつて経営は「ヒト・モノ・カネ」の三要素最適な配分を決定すること、という定義が存在した。しかし、今やこの定義が役に立つと思っている方は少ないだろう。
経営の要素は3つだけではないうえ、「最適な配分」の中身がないからだ。
他にも見てみよう。
日本能率協会のあるコンサルタントは「経営とは会社を潰さないこと」と言っている。
ある人は、「経営とは、顧客を満足させ、適正な利潤を上げること」と言う。
またある人は、「経営とは、強みを活かすこと」と言い、
さらに、「経営とは、お金を使うこと」という人もいる。
いろいろな方がいて、いろいろなことを言う。それだけでも十分面白い。
結局、何を信じるかは人それぞれであり、経営者の責任において何を選択するかは自由だからだ。
だが、私にとって上の定義は「なんでもあり、のような気がして今ひとつピンとこない」ものだった。
ところが、最近であった本に一つ良い定義が含まれていた。これは、ピーター・ドラッカーが1994年に行った講義の中での一言だ。
”経営は、現在でも大半のビジネススクールで予算立案や組織育成といった技法とセットにして教えられています。確かに経営には、他の仕事と同じように独自のツールや独自の技法があります。
けれども、医療の本質が尿の分析ではないのと同じで、経営の本質は技法や手順ではありません。
経営の本質は、知識を役に立つものにすることです。言い換えれば、経営は社会的な機能なのです。”
この定義は多くのものを含む。
まず経営は「知識」が前提となる。「顧客」や「利潤」という言葉は出てこない。これは企業に特有の話題だからだろう。ドラッカーは経営の適用を政府機関やNPOなどにも求めていたので、これは当然だ。
さらに、「知識の活用」のためには知識労働者をどのように組織に貢献させるか、というマネジメントの技術の必要性も説かれる。また、企業の本質的なリソースは「ヒト・モノ・カネ」ではなく、知識だと言っている。
すなわち、経営者はこう考えなければならない。
「我々が持っている知識は何か?」
「その知識は何の役に立つか?」
「その知識は誰の役に立つか?」
「その知識は社会にどんなインパクトを与えるのか?」
「経営」の定義も日々刷新されているのだ。