「友人」と言う存在は、貴重なものであると同時に、難しいものでもある。
友人がたくさんおり、有意義な毎日を送る人もいれば、友人との関係に頭を悩ませ、何も手に付かないという状態の人もいる。
一緒に仕事を出来る友人もいれば、遊ぶだけで一緒に仕事はしたくない、と言う友人もいて、「友達付き合い」は様々な人間関係の縮図とも言える。
さて、友人は、家族の次に近い存在なので「友人の選び方」はおそらく重要である。
「朱に交われば赤くなる」と言ったことわざがあるように、友人の影響は大きい。また、Dropboxの創業者であるドリュー・ヒューストンは、「あなたは、あなたの周りにいる最も近しい人(サークル)5人の平均だ」と言う。
しかし、「友達の選び方」など、そもそも正解があるのだろうか?
そういった疑問を持つ人に、ひとつの解答を与えてくれるのが、「徒然草」だ。徒然草はすでに約700年間、読み継がれている「エッセイ」であり、そこには普遍的な真理が含まれていると考えてもいいだろう。
さて、徒然草には、 「友とするに悪き者、七つあり」 と書かれている。
友とするに悪き者、七つあり
一つには、高く、やんごとなき人
二つには、若き人
三つには、病なく、身強き人
四つには、酒を好む人
五つには、たけく、勇める兵
六つには、虚言する人
七つには、欲深き人
現代の感覚しては若干「?」という部分もあるが、概ね理解できるだろう。
エライ人、理解し合えない若手、健康すぎて病人の気持ちがわからない人、酒好き、血気にはやる人、嘘つき、そして、欲が深い人は、友達として望ましくない、と言っている。
逆に、徒然草には「よき友、三つあり」とも書かれている。
一つには、物くるゝ友
二つには医師
三つには、知恵ある友
物をくれるような気前のいい人、健康状態を相談できる医者とは友だちになっておけ、というのはかなり現実的だ。
また、「知恵ある」というのは、単に頭が良い、というだけではなく「思慮深い」という意味も含まれているのではないかと思う。
ただ、徒然草の作者である吉田兼好は、本当はこう言いたかったのではないだろうか。
「友人関係は、無理をするものではないし、「真の友情」などといったロマンのあるものではない。「すごい人」も友達として不適格だ。「打算的でも」いいから、適度な付き合いをしよう」
友人関係にくよくよ悩むなら、吉田兼好にならったほうが良いのでは、と思いもする。