どの組織においても一定数、面倒見が良い、と言われる人がいる。そして、一般的に面倒見の良い人物は職場で好かれることが多い。
当たり前だが、そう言った人々は感謝されることも多い上、後輩や同僚からも慕われるので「いい人」として認識され、人気もあるだろう。
理想の上司像は「面倒見の良い人」という若手も多いだろう。
「面倒見がよくて人としても尊敬できる」。人材サービス会社が行なったアンケート調査で、今年の新入社員が求める「理想の上司」像が浮かび上がった。
本当にこれをそのまま信じていいのかは分からないが、面倒見の良い上司や職場なのかどうか、採用の際に確かめてくる学生が多いことは、実感として確かにある。
だが、「面倒見の良さ」は、本当に評価されるべき長所なのか。
私は、あるシステム開発会社での話を思い出す。
その会社は人事評価制度を改めようとしていた。そしてその際に管理職、およびリーダークラスの評価基準を再定義するということだった。
そして、人事部から上がってきた、ドラフトの評価基準の中に「面倒見の良さ」という項目が入っていることを皆が見つけた時、ある論争が持ち上がった。
ある人間が「面倒見の良い上司は良い上司」とし、べつのある人間が「面倒見の良い上司はダメ上司」と反論したのである。
「面倒見の良い上司」支持派は、こう言う。
「部下の面倒を見て、きちんと育成を行ってこそ上司の職務を果たしていることになる。」
「面倒見の良い上司はダメ上司」派はこう言う。
「部下の面倒見の良い上司は、部下をダメにしている。依存心ばかり育って、その上司がいなくなった時に使いものにならない。」
興味深いテーマだった。だが、議論は平行線をたどり、一向に決着はつかなかった。
皆が疲れ、議論が膠着した時一人の役員が発言した。
「実際にデータを見ようではないですか」
彼らは現在の成績と、誰のもとで育ったかを洗い上げ、一人ひとりを吟味した。
結果は明らかだった。
「どの上司がよく人を育てるか」ということに関しては面倒見の良さとはあまり関係がなかったのだ。実際、この会社では面倒見の良い上司も、面倒見が悪いとされる上司も、等しく人を育てていたし、等しく合わない部下が会社を辞めていた。
「要は相性じゃないですか」
と誰かが発言した。皆それに同意しかけた。
すると、先ほどの役員が「相性ではない」という。
「では、何なのでしょう?」と皆が聞く。
「面倒見の良さ」と、人が育つかどうかはあまり関係がないことは、データを見てわかるとおりだ。しかし、このデータは別のことを教えてくれる。
それは、目標の達成率が高い部門長の下では、人の成長が促進される、ということだ。
「つまり、「事業の成長があってこそ、初めて人が成長する」ということでしょうか?」
と、皆が聞く。
役員は言った。「そうは言っていない。因果はわからない。だが、相関はある。見ると「成長事業にいない人は、全般的にその人物の成長も遅い。」ということも言える。上司の面倒見の良さにかかわらずだ。」
「こう考えたらどうだろう。おそらく結論は「上司の面倒見の良さは、人の成長とはあまり関係がない。」でも「部門の成長性」は密接に関連がある。」
この会社での結論は、こうだった。
マネジメントのスタイルは人それぞれ。面倒見の良さが部下のためになることもあれば、そうでないこともある。だが、上司が本当にやらなければいけないのは、自分の部門の事業を、成長性の高いものにすることだ。
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