8206cad6e5dbf431cd4ebc1b362447f7_s「悩みのるつぼ」という連載が、朝日新聞の記事にある。Webではここで読める。かつて「オタキング」と言われた岡田斗司夫氏が、読者からの相談に答えていくという非常にシンプルな内容なのだが、寄せられる質問が全てとてつもなく重たい。

 

  • なぜ死んではいけないのか?
  • 知的障害の子供を持っていて、苦痛なのだがどうしたら良いか?
  • 息子を捨てていか?

 

など、正解がなく、しかも、新聞という公開の場での回答になるので、答えにくい質問ばかり。

毎回彼のブログでは、「自分なりの回答を考えて、コメント欄にください」と書いてあるので、きっと岡田斗司夫氏も、いろいろな人の意見を知りたいのだろう。

 

だが、回答は毎回恐ろしく秀逸である。たとえば、息子を捨てたい母親への回答はこちら

私も色々と考えてみるのだが、まだ一度も岡田氏の回答を超えると自分で思えたものがないばかりか、岡田氏の回答と同じになったことすらない。なぜ、彼がこのように的確に回答できるのか。

 

 

 

鍵は「優しさ」だと思う。本当にどうしようもない人に、「厳しさ」は不要だ。かと言って、「同情」でも「甘えさせてあげること」でもない。岡田氏はこんなことを言っている。

 

 

”これは例え話なんですけども、同じ温度の風呂に入らないとしょうがないんです。
例えば、その人が恋愛相談してるとか、借金のことで悩んでるとか、いろんなことで悩んでますよね。

ついつい僕らはその相談者と同じ温度の風呂に入らないんです。その人が熱くて困ってるとか、冷たくて困ってると言ったら、自分は快適に服着て標準の段階で、「うん、そうだね。こういうふうにすればいいよ」というふうにやってしまう。

「それはこうすればいいよ。それはここに相談すればいいよ」ではなくて、まず十分に「それはつらいよね。それはしんどいよね」というふうに、その人の感情とか感覚を共有しないと同じ立場に立てないんです。

同じスタート台に立てない。絶対に上から目線の回答になってしまうんです。それはよくない。まず同じ温度の風呂に入る。その人がぬるいと感じてつらいのか、熱いと感じてつらいのか、冷たいと感じてつらいのか…。そういうふうに同じ温度の風呂に入らないとしかたがないんです。”

 

 

 

でも、岡田氏は最後にほんのちょっとだけ、アドバイスする。その人の心の重荷が取れるように、アドバイスする。決して頑張らせたりしない。

 

いつか、岡田氏のような回答ができる日が来るのだろうか。自分はまだ、あまりにも未熟だ。