暗記力「暗記するための勉強」は最近では嫌われているらしい。おそらく「つめ込み教育」とセットで批判されているのだろうと推測するのだが、考える力のほうが暗記するということよりも大事であると主張する人が多い。

しかし、実態はそうではない。実は「暗記」があってはじめて、「考える力」や「その他のクリエイティブな力」が養われる。

 

数学の問題を解くときに、「考える力」はもちろん必要である。ただし、「定理」や「いくつかの基本的な解法」を暗記しているという前提だ。

クリエイターが広告を作るときに、「創造する力」はもちろん必要である。ただし、「以前に見たスバらしい作品たち」や、「Photoshopなどのツールの使い方」を暗記しているという前提だ。

ピアニストがピアノをひく時、「表現力」はもちろん必要である。ただし、「曲」や「鍵盤の位置」などを暗記しているという前提だ。

サッカー選手がサッカーをするときに・・・

 

 

くどいのでもうやめるが、何かしらの成果をあげる力はすべて、「暗記」を前提としている。そして、この暗記のレベルは「一夜漬け」のレベルではない。一夜漬けなど、1周間も経てば忘れる。それは「本気でする暗記」ではない。

本気でする暗記は、繰り返し、数多くの修練を通じて「意識しなくても思い出せる」レベルの暗記である。

 

 

意識しなくても思い出せる、という状況になった時、はじめて人間はその知識を「使いこなせる」レベルになったということである。

「暗記」が悪いのではない。「暗記すること」のほんとうの意味がわからないまま、ひたすら暗記を求められることが悪いのだ。

 

 

これで本の読み方も変わる。「この本いい本だな」と思ったら、それを何回も読んで、中身を頭に入れてしまおう。

「身につく」という言葉はいい言葉だ。本を読んで、身につく。まさに言い得て妙。