会社には「管理職」という地位がある。この「管理職」という地位だが、大別すると2種類ある。
1.プレイング・マネジャー
マネジメント以外の自分だけの仕事を持ち、そこにおいても成果を期待されているマネジャー
2.管理者
マネジメントに特化して仕事を行い、自分の仕事は持たない。部下の成果=自分の成果
そして、2.の管理者は往々にして「管理の仕事」だけをやっている。例えば、営業部の部長は自分の担当顧客を持たず、部下の営業の補佐を行うだけ、といったようにだ。
さて、1.と2.、組織にとってどちらのマネジャーが望ましいのだろうか。
経験によれば、多くの人は、「プレイングマネジャー」は望ましくない、と回答する。
しかし、ドラッカーに言わせれば、マネジメントのみを行う上司は、「マネジメントを設計する上で大きな間違い」であるというのだ。つまり2.はダメである。
ドラッカーの言葉を引用する。(マネジメント 中巻 ダイヤモンド社)
”間違いの第三は、マネジメントが自分の仕事を持たないことである。マネジメントとは仕事である。しかしそれは、マネジメントが全ての時間を費やすほど時間を要する仕事ではない。マネジメントの人間の仕事は、マネジメントの仕事と自分の仕事の2つからなる。マネジメントの人間とは、マネジメント兼専門家である。
従って、自分の仕事がなければならない。十分な仕事が無い時、マネジメントは部下の仕事を取ってしまう。権限を移譲してくれないとの苦情の殆どは、上司が自分の仕事を持たず、部下の仕事を取るために生ずる。
(中略)
やがて働く感覚を忘れ、尊さを忘れる。しかも働くことの尊さを忘れたマネジメントは、組織に害をなす。かくしてマネジメントは、単なる調整者ではなく、自らも仕事をするプレーイング・マネジャーでなければならない”
ドラッカーはプレイング・マネジャーを肯定する。そして、その理由もシンプルである。
管理職は昇進して自らの仕事を持たなくなると、いわば「上がり」のようになってしまい、仕事をしなくなる。仕事をしないだけならまだよい。悪い時には部下の仕事にちょっかいを出すようになる。それゆえ、管理職になって10年もすれば顧客のこともわからず、現場の仕事もできない「生ゴミ」の完成である。
管理職は自らに「専門家でもある」ということを課さなくてはいけない。もっと言えば、経営者が「部下の管理」ばかりしている会社もたくさんある。これは最低だ。経営者は専門家であるか?を常に自分に問いかけなくてはいけない。
「生ゴミ」になりたくなければ、経営者に楽は許されないのだ。