米国のタバコ会社への巨額賠償支払い判決を報じる記事があった。
”米国タバコ会社に「2兆円」賠償判決――こんな「高額賠償」は日本でも認められるか?
2兆円の賠償金を支払え――「キャメル」などの銘柄で知られるアメリカの大手タバコ会社「RJレイノルズ・タバコ」に対して、米フロリダ州の陪審団が、懲罰的賠償として約236億ドル(約2兆3900億円)の支払いを命じる評決を言い渡し、話題となっている。”
なぜこのような常識はずれの賠償金が命じられたのか、その理由は「タバコ会社の倫理観」に対する懲罰にある。
”「実はアメリカでも、1950年代から90年代頃までは、タバコ会社がほぼ全て勝訴していました。理由は、喫煙者の自己責任(危険の引受け)です。
しかし、1990年代後半頃から裁判の流れが大きく変わりました。きっかけは、内部告発や内部文書により、タバコ会社が健康被害や依存性について熟知しながら、それを隠して、故意に詐欺的な販売を継続してきたということが明らかとなったからです。」”
つまり、タバコ会社がタバコの被害について「見て見ぬふり」をし続けたことが問題なのだ。
これを見て、ピーター・ドラッカーによる次のような話を思い出した。
” マネジメントたるものはすべて、リーダー的地位にあるものの一員として、プロフェッショナルの倫理を要求される。
それはすでに、二五〇〇年前のギリシャの名医ヒポクラテスの誓いのなかにはっきり表現されている。知りながら害をなすな、である
(中略)
顧客となる者は、プロたるものは知りながら害をなすことはないと信じられなければならない。これを信じられなければ何も信じられない。”
タバコ会社は、倫理観の欠如から大きな賠償を課されることになった。しかし、この話はタバコ会社ばかりではない。
製薬会社ノバルティスによるデータの捏造、ゼンショーの劣悪な労働環境の放置、楽天の二重価格表示など、「知りながら害をなすな」の倫理観が欠如した行動を取る会社(員)は無くならない。
そういった行動は、タバコ会社に課されたような、大きな社会的制裁を受ける可能性がある。
企業は社会的正義を為す必要は全くないと思うが、「知りながら害をなすな」は極めて重要だ。