かつては尊敬の対象であった老人たちが、最近では暴力事件、トラブルを引き起こすことが増えているという。
キレる高齢者!各地で大暴れ・・・暴行検挙数急増、少年超えた万引き検挙数
高齢者の暴行検挙数(警察庁調べ)は1994年の67人から2013年は3048人に増えた。以前は少年犯罪だった万引きの検挙者数は、13年はシニアが2万7953人と少年の1万6760人を上回った。(J-cast)
ベビーカーに乗った老人が子供を殴る、という事件が昨年大きく取り上げられたが、それに類似した事件を耳にすることも多い。
もちろん高齢者が増えているので、必然的に高齢者の犯罪も増える事になるのだが、暴行で検挙される老人が20年で50倍近くにもなっていることは異常だ。
この背景にあるのは「老人の地位の低下」がある。尊敬もされず、友もなく、孤独。そんな絶望感が、彼らを極端な行為に走らせる。
【書評】半グレ化する不良老人 暴行の検挙数は20年で45倍に
犯罪に走る背景を探っていくと、「生きる意味も生き甲斐も失った」と漏らし、心の空白を窺わせる高齢者が多いという。 (ポストセブン)
お年寄りを尊敬すべきだろうか?という質問に対して、まわりの人々の一番多い回答は「その人が尊敬すべき人格なら」だ。
もはや歳をとっている、というだけでは尊敬されることはない。老人のもつ知識は陳腐化し、経験は現状にそぐわない。年寄りは増え、長寿はもはや珍しくない。
では、我々はどうすべきだろうか。
本質的に、自分が年寄りであることを素直に受け入れるのは難しい。
60代の9割が「敬老の日」はひとごとだった!“年寄り扱い”されたくない若いシニアが増加中
少なくとも60代では、「『敬老の日』は自分たち向けではない」と考えている人の方が多そうだ。実際に、「気持ちの上で自身が認識している年齢」を聞くと、「1~5歳/6~10歳若い」という回答が大部分を占める結果となった。(ダイヤモンド・オンライン)
「アンチエイジング」という言葉が流行ったことからも、加齢は抵抗すべきもの、若さは保たれなければならないもの、とするひとが多いのかもしれない。
だが、加齢に抵抗しても幸せは生まれない。人はだれでも、いずれは年寄りであることをうまく受け入れなければならない。そこにはいくつか乗り越えなければならない壁がある。
アメリカの教育学者・ハヴィガーストが提唱した「発達課題」において、老年期には以下の6つの課題がある。(中略)
①体力や健康の衰えに適応すること
②引退と収入の減少に適応すること
③配偶者の死に適応すること
④同年代の人々と親密な関係を結ぶこと
⑤社会的・市民的義務を果たすこと
⑥身体的に満足でききる生活環境を確立すること(老いの工学研究所)
しかし、これらのことは65歳になり、仕事を引退すれば突如としてできるようになる、という性質のものではない。特に会社人間、つまり自分の会社以外の世界を殆ど知らない人は、地域社会へ適合することに苦労する。
40歳ともなれば、もう20年仕事をしてきたのだから、自分が「稼げるやつかどうか」は嫌でもわかる。「稼げないので不安だ」という声もよく分かる。
だが、老後の幸せを決めるのは金の多寡ではなく、「友達」「趣味」「共有」「家族」などの人同士の関係性だ。
「あまりに強欲で家族から見捨てられた老人」
「働いていた頃の権勢が忘れられず、地域コミュニティに溶け込めない老人」
「引退と同時に配偶者から離婚をつきつけられた老人」
彼らは必ずしも裕福ではない。僅かな年金を当てにして暮らしている。
だが、様々な方の話を聞くと、彼らの本質的な悩みは金よりも「余った時間をどう過ごすか」と「人間関係」にあることがよく分かる。
連帯は貧乏を癒やすが、孤独は金では癒やされない。孤独のが遥かに問題なのだ。
その状況を踏まえると、40歳ごろから「老人になる準備」はしておいたほうが良いのではないかと感じる。
そして、今後は中高年に対する「会社以外の世界を提供する」「サラリーマンを引退した後の商売を助ける」「多様性の受け入れを促進する」「地域社会への参加をうながす」などのビジネスが出てくるだろう。
これからは「尊敬もされず、友もない孤独な老人」がますます増える。その時に果たして我々はそのような人々をうまく受け止めることはできるのだろうか。
そう思うと、暴力事件を引き起こす老人に憐憫の情が湧く。
明日は我が身なのだ。
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