日本はマスメディアへの信頼度が高い国といわれている。データを見ても、それは一目瞭然だ。
マスコミ(新聞・雑誌、テレビ)の信頼度は日本で特に高く、それとは対照的に、他の欧米諸国では低い。政府の信頼度との関係では、日本では、政府発表よりマスコミの報道の方が信じられているのに対して、欧米諸国では、どっちもどっちという状況にあると考えられる。”(世界実情データ図録)
これはもちろん、「日本人がテレビや新聞を鵜呑みにしているからバカである」と言う結論にはならない。あたりまえだが、「本当に日本のマスメディアが海外に比して信頼に値する組織である」という可能性もあるからだ。
(海外では日本と逆に、宗教団体が信頼に値する思われている。これだけをもって「外国人はバカである」と言えないのと同じだ)
繰り返すが、一つだけ言えるのは「日本人はマスメディアを信用している人が多い」ということだけだ。
さて、昨日NHKで、「メディアの明日」という番組が放映されており、そのなかで、インターネットメディアとして「ハフィントン・ポスト」が紹介されていた。そして、マスメディア側(つまり、ハフィントン・ポストに懐疑的な人々)の主張で一番耳に残ったのが、
「インターネット上の論説は(ブログも含めて)信じられない。信頼性がない」
というものだった。
そのとき、私は思った。
「信頼性がない、というのは、そんなに悪いことなのだろうか?」と。
確かに私のまわりの年配者は、新聞やテレビなどのマスメディアを信用し、ブログなどのインターネットメディアは「信用に足るものではない」と思っているフシがある。
たしかに、私が読んだブログについて、その情報の裏を取ることはまずしないし、緊急時には私だってNHKを見る。Web上は多くのデマがあるからだ。
しかし、「信頼性」はブログにとって重要ではあるが、本質ではない。マスメディアの報道にとっては「信頼性」と「思想」が本質なのかもしれないが、ブログはそうではない。
したがって、ウェブメディアに対して「信頼性がない」と批判する人は間違っている、というか、的はずれなことを言っている。
ウェブメディアが圧倒的にマスメディアに比して優れているのは、1点のみ。
「記者でなく、当事者が書いている」
ということに尽きる。信頼性は問題ではないのだ。
例えば、エンジニアが仕事で思ったことを書く。看護師が感じた病院の雰囲気を書く。営業が感じた苦しさを書く。
これらは、あくまで「私が思ったこと」にすぎないのだ。それが、ウェブメディアの特徴である。それは、信頼性よりも、「体感値」を伝えることを優先することにほかならない。
マスメディアの報道が、「多くの人のデータを合わせて均したもの」だとすれば、ブログは「生データ」そのものである。
そして、時に「平均的な意見」よりも、「個人の意見」のほうが、人に大きな感銘を与える。
だから、マスメディアはウェブメディアと対立するのではなく、相補的な関係にあるとみるほうが妥当である。
マスメディアにWebメディアのようになってしまっては困るし、ウェブメディアにマスメディアのような話を語られては面白くもなんともない。
では、「日本のマスメディアに信頼性があるのか?」と言われる方もいようが、その話は別の話なのでここでは書かない。