組織で仕事をしていると、とかく忘れがちなのが、「手を動かす」ことの重要性だ。
もっと具体的に言えば、プログラムを作ったり、文を書いたり、金属を削りだしたり、家を建てたり、なんでもいい。そういった手を動かして、何かを作る行為だ。
これと対極にあるのが、人に指示する、外注に頼むといった行為だ。
人に指示して作らせるのもいい、組織にはあなたの言うことを聞く人がたくさんいるのかもしれないし、お金を出せば外部の人がやってくれるのかもしれない。
でも、「自分で手を動かして作ったもの」と、「人に頼んで作ってもらったもの」には、仕様が全く同じだとしても、明らかな差がある。
同じように、会議で決まったことを「自分で実行して、実現したこと」と、「他の人がやったことをチェックしただけのこと」にも、明らかな差がある。
それは、外見的にはわからない。表面的には同じである。
違うのは、「人の思い入れ」である。
人が作ったものは、いかによく出来ていたとしても、「自分のかわいい子供」ではない。注文通りできた、「商品」あるいは、「成果物」である。
自分が作ったものは違う。人がなんと言おうとそれは、「自分の子供」であり、思い入れがある「作品」なのだ。
そして、「作品」には、魂が宿る。その人の念がこもる。
組織で働いていると、「作品」を作る機会がどんどん減ってくる。上の立場になれば、自分で手を動かさずとも、誰かがやってくれる。
人が多ければ、自分が動かずとも、人がやったことを批評しているだけでも、給料はもらえる。
でも、何十年と「作品」を作ったことのない人は、人のやったことに対して、だんだん鈍感になる。感受性が低くなる。
「人の苦労」が徐々にわからなくなる。
「批判されること」に対して、耐性が低くなる。
そういう人を、何人も見た。そして、私も組織の中でそうなっていた。
それではいけない、と思う。
人は、「作品」を作り続けるべきだ。どんな小さいものであっても。
「作品」を作る時、人は誰でもクリエイターとなり、幸せを感じることができるのだ。