「お客様は神様です」という有名なフレーズがある。「顧客を大切にしよう」という心がけをわかりやすく一言で表すフレーズとして、飲食業などで多用されたようである。
しかし、この言葉を最初に作った三波春夫氏は、そのような使い方は「歓迎できたものではない」と考えていたようである。
三波春夫といえば『お客様は神様です』というフレーズがすぐに思い浮かぶ方が少なくないようです。印象強くご記憶頂いていることを有り難く存じます。
ですが、このフレーズについては、三波本人の真意とは違う意味に捉えられたり使われたりしていることが多くございますので、ここにちょっとお話し申し上げます。三波春夫にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。客席にいらっしゃるお客様とステージに立つ演者、という形の中から生まれたフレーズです。三波が言う「お客様」は、商店や飲食店などのお客様のことではないのです。
しかし、このフレーズが真意と離れて使われる時には、例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?」と、いう感じ。店員さんは「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」という具合。
俗に言う“クレーマー”の恰好の言いわけ、言い分になってしまっているようです。元の意味とかけ離れた使われ方ですから私が言う段ではありませんけれど、大体クレーマーたるや、「お客様」と「様」を付けて呼んで貰えるような人たちではないと思います。サービスする側を 見下すような人たちには、様は付かないでしょう。
三波春夫の舞台を観るために客席に座る方々の姿は、『三波の歌を楽しもう、ショウを観てリフレッシュしよう』と、きちんと聴いてくださった「お客様」だったのです。このフレーズへの誤解は三波春夫の生前から有り、本人も私共スタッフも歓迎出来た話ではないと思っておりました
「お客様は神様です」のフレーズの欠点は、上の引用の中にもある通り、「顧客の立場が上で、店の立場が下」というような誤解を招いてしまう点だ。
私が様々な会社で観察したところ、実際には、「カネを払っている側、すなわち顧客が威張り腐っており、カネで言うことを聞かせようとしている」取引は長続きしない。大体の場合において、供給側が疲弊し、嫌な客をしぶしぶ相手にする、という状況になる。
先日、アップルが下請けの会社に訴えられたが、「アップルとは取引したくない」と考える会社は今後さらに増えるだろう。
アップルは自社工場を持たないが、取引先工場に融資や投資をして、そこで培った知的財産を両社共有にすることで独自技術を掌握してきた。一方で、電子部品に強い日本企業の一部は、モノづくりの技術的ハードルの“解決策”を、率先してアップルへ提供してきた。
しかし、その技術やノウハウが、アップルを通じてアジアなどの他サプライヤーに流出し、肝心の受注段階で彼らとのコスト勝負に引きずり込まれたとみられる事態が起きていた。水面下では、そんなことの繰り返しに嫌気がさしている企業も出ていたわけだ。(ダイヤモンド・オンライン)
逆に長続きするのは、どの業界においても「顧客がサービス提供側に感謝しており、そのお礼としてお金を払っている」というケースだ。この関係は建設的であり、長期的な信頼関係を構築できる。
実は、この話には私にも思い出がある。
ある会社に訪問した時、「お客様は神様です」のフレーズについて、経営者と話をした。
彼はこう述べた。
「私は、「お客様は神様です」というフレーズを使ってはいかん、と言っているんですよ」
「最近、そのようにいう会社、増えてますね」
「そうですか、でももちろん、私はお客様を大切に思っています。そこで、社員に言っているのが「お客様も人です」というフレーズです」
「おもしろいですね」
「そうです、神様というと絶対に逆らってはいけない、とか、支配されている、というイメージになってしまいますので、コチラも萎縮してしまいます。」
「そうですね」
「その代わり、「お客様も人です」というと、社員が相手の立場になって考えるようになるんですよ。お客さんも人だから、嫌な気持ちにさせてはいけない。お客さんも人だから、こういう風に対応すれば信頼してくれるだろう、っていう具合です。」
「なるほど、変わってますね」
「そうでしょうか。でも、商取引というのは、企業対企業であること以前に、人対人だと思っています。ですから、私はこの考え方を貫きたいと思います。」
世の中には、色々な考え方があるものだ、と感心したことを記憶している。