最近、「傾聴スキル」が取り上げられることが増えていると感じる。
「相手の話を聴くこと」が、人に信頼される
「相手の話を聴くこと」が、人望に繋がる
「相手の話を聴くこと」が、人に好かれる
そういう触れ込みで、「傾聴」がもてはやされている。
つい先日にも、ある会社で隣の席で上司と部下の2名が、仕事の悩みについて、話をしていた。
上司は一生懸命部下の話を聴いている。
「仕事で悩んでいるんだって、聞いたけど。」
「…。」
「聴くから、何でも話してみてよ。」
「…。営業があまりうまくいかなくて、今月の目標達成が危ういです。」
「そうなんだ。キツイよね。」
「はい。きついです。」
「これから、どうしようと思ってるの?」
「もっと訪問回数を増やして、丁寧なフォローをしようと思っています。」
「そうだね。訪問回数や、フォローは大事だね。」
「今までも結構頑張ってたつもりだったんですが…。お客さんがきちんと考えをまとめてくれなくて、なかなか意思決定してくれないんです。」
「そうだね。」
「もう少し、お客さんにたいして、はっきり決めてくれ、というつもりです。」
「…。そうだね。」
「頑張ります。」
上司は一見、「傾聴」しているようにみえる。だが、実態はどうなのか。
私はこの上司に、後から話を聞いてみた。
「何か、部下の方に言いたそうでしたね。」
「そうです。お客さんに決めてくれ、と言っても多分、成績はあまり変わらないでしょう。」
「なぜ、それを言わなかったんですか?」
「先月、マネジメント研修で、部下を否定するな、傾聴しろ、と教わったもので…。」
「そうなんですか?」
「いや、以前はゴリゴリ部下に指示を与えていたんです。こうしろ、ああしろってね。でも、嫌な顔をする部下が多くて、社長から研修でも行って来い、と言われて。」
「それで、部下のいうことを傾聴するようにした、ということでしょうか?」
「そうです。」
「効果はありましたか?」
「いや、あまりない…、というか、むしろ業績はいまひとつですよ。もうどうしたらいいか、よくわからないです。」
「…。」
「傾聴なんて、クソ食らえですよ。」
実際、「部下への傾聴が必要」という研修は多いが、実際の現場ではそううまくいかない。
なぜ、このようなことが起きているのだろうか。
実は、根本的な誤解は、「傾聴」を、「相手の話をじっくり聴くこと」と理解している点にある。
もちろん、辞書を引けば意味としては正しい、が、行動としては正しいとはいえない。
「傾聴」がほんとうに意味を持つのは、「相手の話をじっくり理解する」ことが焦点の場合である。
上でご紹介した上司は、部下の話を聴いてはいる。だが、理解してはいない。
例えば、
「もっと訪問回数を増やして、丁寧なフォローをしようと思っています。」
「そうだね。訪問回数や、フォローは大事だね。」
と言う会話があるが、上司はあくまで「一般論として、訪問回数やフォローは大事」と、話をしているだけで、部下がなぜ、訪問回数を増やしてフォローをしようと思ったか、全く掘り下げていない。
上司が部下の話を理解しようと思ったら、下のようなやりとりになるだろう。
「もっと訪問回数を増やして、丁寧なフォローをしようと思っています。」
「(なぜ、訪問回数とフォローの話をしたのだろうか?)訪問回数と、フォローが大事だと思ってるんだ。」
「そうです。皆、訪問回数とフォローが重要って、言っているじゃないですか。」
「(皆って誰だろう?)ふーむ。」
「いや、私だって確信があるわけじゃないですよ。」
「(答えが見つからなくて、焦っているのだろうか?)じゃ、ちょっと一緒に考えてみようか。」
「あ、ありがとうございます。」
「(よかった、じゃ考えてみよう)ちょっと、前回の営業の様子を教えてくれないか」
「はい、前回は…」
なぜ「傾聴」が大事なのか?それは、「理解」につながるからだ。
相手が「聴いてもらって、嬉しい」と思うからではない。
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(Photo:Paul Townsend)