私の周りに、最近「好き」を仕事にしている人が増えてきている。いや、増えてきているのではなく、好きを仕事にしている人が見えるようになってきたのかもしれない。
最近よく見かける「好き」を仕事にしている人たち
例えばある友人は、5年間働いた不動産関係の会社を辞めて、突然留学をした。帰国後、子ども向けの英会話教室の先生となった。大学までは好きな英語を一所懸命勉強したが、就活の時に周りに流され、好きなことを見失ってしまったという。学校の好きな科目はもちろん英語だ。
別の友人は10年間サラリーマンをした後、脱サラして作家になった。ビジネスパーソンとしても優秀で、子どもの頃から優等生だったが、本人はそこまで勉強を得意と思っていなかったらしい。しかし、唯一国語だけは好きだったので、書くことに関しては誰にも負けない自信があった。
また先日「好きな教科はもっぱら体育」という人に出会った。子どもの頃から運動が得意で、プロのテニス選手を目指していた。しかし、途中でプロになるのは現実的に難しいと悟った。それでも好きなスポーツを活かしたかったので、”速く走れる方法専門の方家庭教師”というビジネスを自ら作り、起業した。
何をやりたいのかわからないという人たち
「何をやりたいのかわからないです。どうすればいいですか。」と相談されることがある。
正直、この手の質問は回答に困る。何をやるべきとか、どうやるとかのノウハウは世の中に沢山あるが、何を「やりたい」と感じるかはその人の中にしか答えはない。
だからこのような相談をされた時は「子どもの頃は何をするのが好きだったか」と、最近は聞くようにしている。そうすると、こんな反応をする人がいる。
「え?子どもの頃に好きなこと?うーん・・・まぁ野球が好きでしたかね。でも、今から野球選手になれるわけでもないし、もうずっと昔のことです。まさか好きなことを仕事にしろって言いたいんですか?」
もちろん、好きなことをそのまま仕事にしろと言っているわけではない。しかし先ほど紹介したように、「好き」を仕事にしている人が実際いる中で、その選択肢をすぐに否定する必要もないと思うのだ。
「好き」を仕事にしてはいけないという先入観
いつから私たちは「好きなこと」に対し、こんなにも悲観的になってしまったのだろうか。
自身が脱サラをして心理カウンセラーになった心屋仁之助氏は『「好きなこと」だけして生きていく。』(PHP研究所)で、我々にこんな疑問をぶつけてくる。
「好きなことをして生きていくということはあり得ない」ということ(中略)、いつから信じました?誰がそんなこと言ってました?子供の頃は、そんなこと知らなかったはず。
何にでもなれると思っていた、というより不可能というものも知らなかったはずなのに、いつの間にか、そんな「思想」に取り憑かれてしまって、自分の可能性を閉じてしまった。
この文章を読んであなたはどう思うだろう。
私は、頭では理解できたが心がついていかなかった。つい最近まで「好きなことをして生きていく」なんて理想の話で、誰か他の人には有り得たとしても、自分がそうなるとは考えもしなかった。
でも、なぜ自分には有り得ないと思うのかと聞かれれば、確かにいつからそんな風に思うようになったのだろう。
心屋氏は、好きなことをしていると罪悪感を感じてしまうのは、(好きなことばかりしていないで勉強しなさい!と)親に叱られた影響が大きいと言っている。
同時に我々はもう子どもではないのだから、いい加減親のせいにするのではなく、自分で可能性を閉ざすのはやめようとも勧告している。
しかし、多くの人にとってこれは口で言うほど簡単なことではない。
「好きなことをしていい」と認めてしまえば、いつか苦労が報われると信じ、好きなことを必死に我慢している今の自分を否定することになる。
「先輩も若いうちは修行が大事だって言ってたしな。いつ幸せになれるかわからないけど、そのためには苦しみが必要なんだ」と、勝手に都合の良い論を引っ張り出して、自分に言い聞かせようとする。
会社員として働いている時点で、本当に自分の好きなことをやれている人はごく少数だと感じる。もちろん任された仕事の範囲内で、自分なりの工夫を好きなように施すことはできる。
しかし、好きなことをそのまま仕事にする話とは、あまりにも次元が違う。
「好きなこと」で溢れた人生を想像する
ただ繰り返しになるが、「好き」を仕事にして生きている人は、世の中に案外いるものだ。というより、自分が「好きなこと」を徐々に仕事にし始めてから、「好き」を仕事にする生き方に気づくようになったのだ。
彼らは共通して楽しそうに見える。好きなことをしている人たちは仕事ということを忘れ、行為自体をに没頭している。現に私自身、書くのが好きでそれを仕事にしているが、一旦書き始めると夢中になって時を忘れてしまう。
ここまで書いたが、最後に「好きなことを仕事にする人生が一番良い」と主張しているわけではないことを付け加えておく。どんな人生を幸せと思うかはその人次第だ。
多くの人が「好きなこと」をやる人生を想像すらせず、今までやり続けたことを選んでしまう。
「道を極めるには長くやり続けた方が良い」とか、「飽き性は良くない」とか、誰に言われたか思い出せない刷り込みだけで人生を決めるのではなく、「こんな風に生きてみたい!」と理想の人生に思いを巡らすのも、たまには良いのではないだろうか。
不可能を知らなかった、子どもの頃のように。
−筆者−
大島里絵(Rie Oshima):経営コンサルティング会社へ新卒で入社。その後シンガポールの渡星し、現地で採用業務に携わる。日本人の海外就職斡旋や、アジアの若者の日本就職支援に携わったのち独立。現在は「日本と世界の若者をつなげる」ことを目標に、フリーランスとして活動中。