企業による大規模データの利用が進んでいる。SUICAの乗車記録からTポイントカードの利用履歴、Googleによるwebの閲覧履歴まで、様々なデータが人をトラッキングし、そのデータを利用しようとする会社がある。また、企業の内部においては営業、財務、生産、設計など様々なデータが取得されている。
しかし、データをどう利用するかに関してはまだ、十分な知見が得られていない。
実際、システムを導入し、様々なデータを取ったにもかかわらず、それを活用できていない企業は多い。
それに対して、ピーター・ドラッカーがその著書「マネジメント」の中で「データの利用」について興味深い知見を述べているので、紹介する。
”企業などの人間組織すなわち複雑な知覚の世界では、データを取る行為は客観的でも中立的でもありえない。主観的な行為であって偏りを持たざるをえない。しかも、それは対象を変えるのみならず、データを取る者自身を変える。なぜなら、データを取ることによって新たな知覚を得るわけでなくとも、知覚の経験は大きく変わるからである。
ドラッカーは、「注意を向け、データを取るという行為そのものが価値を加える」と述べている。要は、データを取られるということは「重視されている」というメッセージと等しいということだ。
従って、「データを取って、客観的に意思決定を行うための材料を手に入れよう」という考え方は、間違っている。
ドラッカーはこう続ける。
”そもそも企業のような社会的存在では、データを取ること自体が価値を定め、目標を定めることに等しい。客観的足り得ない(中略)
重要な事は、データをとることがビジョンを生み出すということである。データを取る行為は、データを取られる対象とデータを取るものを変える。意味と価値を賦与する。したがって、データに関わる根本の問題は、何のデータを取るかである。”
偶然かも知れないが、似たような話が自然現象においても存在する。物理学でいうところの「不確定性原理」というものがある。
ミクロの世界では量子の運動量を観測しようとすると、観測、すなわち「見ようとする行為」によって、量子の状態が変わってしまう。結果的に正確な運動量を測定できない。
会社という大きな世界であっても、「観測しようとすると、観測そのものが対象に影響を与える」という原理が成り立つのだろう。
システムを導入したり、管理手段を導入すれば、「現場で何が起きているかわかる」というのは間違いのようだ。