ドラッカー名著集12 傍観者の時代 (ドラッカー名著集 12)経営者、政治家などの組織のトップに立つ人間は、品行方正であることはもちろん、誤解されることすらされてはいけない、という話は世界中に数多ある。

実際、メディアでは連日経営者の失言が取り上げられ、それにより職を失うトップも多い。

 

さて、これは誰の責任だろう。もちろんメディアの責任も大きい。悪意に満ちた記事を書くメディアはそれが「売れる」事をよく知っているからだ。

しかし、トップはこれをメディアの責任としてはいけないように思う。数々の偉大な先人たちはそのことをよく知っていた。

 

 

中国で、すでに誤解についてに言及されている故事がある。

”瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず”

(瓜の畑で靴を履き直すな。瓜を盗んでいるように見える。すももの樹の下で冠を直すな。すももを盗んでいるように見える)

 

古代ローマにおいてもユリウス・カエサルは

”カエサルの妻たる者は、疑われることさえもあってはならない”

 

そして現代の企業、ゼネラル・モータースの総帥であったアルフレッド・スローンはピーター・ドラッカーにこう語った。

”孤独が好きな人もいる。私はそうではない。まわりに人がいたほうが良い。しかし、職場に友人をもたないことは私の務めだと思う。公正でなければならない。好き嫌いがあることさえ知られてはならない。”

 

 

「誤解」というものは上に立つ人間にとっては極めて厄介なシロモノだ。

もちろん「誤解する奴が悪い」と一蹴することもできる。しかし、人は「火のないところに煙は立たない」ということわざが示す通り、誤解を放置することは「自分のコントロール出来ないこと」をいたずらに増やすことにつながる。

できることならば、誤解を招く発言は一切無くしたい。

 

では、誤解を招かない一番の方法はなんだろうか。

多くの意見があると思うが、私が一番「なるほど」と思ったのはある人の一言だ。

 

「誤解を招かないようにするには、後世の人が私の発言を聞いても「立派なことを言っている」と評価してくれるように意識することです」

 

自分の発言がもし歴史に残るとしたら、それでもあなたはその発言をするだろうか?そういう覚悟のようなものが上に立つ人間には必要なのかもしれない。

それはとても難しいことなのだが。