a1180_014217経営分析の手法の一つに、「競合分析」というものがある。新規事業の立ち上げ、既存製品のシェア拡大、様々な施策には「競合分析」がついてまわる。

かつて在籍していた会社においても「競合分析」は行われていた。例えば「研修」を販売している部隊は競合先として同じように研修を販売している「リクルート」や、「リンクアンドモチベーション」、あるいは「エン・ジャパン」などを競合としてあげていた。

 

また、私が見て回った多くの会社も一緒であり、「ホテル」なら、競合するホテルを、「塾」ならば競合する塾や家庭教師を、「居酒屋」なら近隣の飲食店を「競合」として、掲げていた。

そして、「競合と価格において優劣はあるか」「サービスの差別化はできているか」「従業員の質はどうか」など、様々なパラメータを比較していた。

 

では、その「競合分析」の結果はどうだったか。もちろん役に立った。みんなこう言うのだ。

「ウチはここが競合に勝っている」

「価格競争力があるので十分に戦える」

そして、私も特に疑問を持つことはなかった。皆満足している。これでいいのだ。

 

 

しかし、あるとき訪れた会社のマーケティングの責任者が、私にこのような質問をした。

 

「真の「競合」って、どんな会社だと思います?」

私は聞かれていることがよくわからなかった。「真の競合?どういう意味ですか?」

その方は言った。「文字通りの意味です。」

私は自信が持てなかったが、教科書通りの答えをした。「同じ顧客をターゲットとする企業、すなわち顧客を奪い合う会社のことを、競合というのでは?」

「そうですね。学校ならその答えで100点です。」

「実務ではそうではないということですか?」

「時として。」

「どういうことでしょう?」

「弊社も以前はその定義をしていました。すなわち、競合とは「同じ市場を分け合う会社」のことです。でも、今は違います。」

「?」

「弊社は上の定義の会社を「同志」と呼んでいます。お互い切磋琢磨する仲間です。「競合」は、市場全体から顧客を減らしている会社です。」

 

なるほど、彼らの定義は全く異なる。

古い定義に従えば、任天堂にとっての競合は家庭用ゲーム機を出しているソニーや、マイクロソフト、もしくはPCゲーム、携帯ゲームなどを作っている会社だ。

しかし、新しい定義に従えば、彼らは「同志」だ。切磋琢磨すればするほど、ゲームをプレイする人の数は増えるわけだから、単に競争に勝ち残ればいいという話だ。極端な話、2番手、3番手でも食べていくことができる。

 

しかし、「競合」はどういった会社なのか。端的に言えば「ゲームをする時間」を削ろうとする会社だ。それは、Facebookであったり、Twitterであったりと、ゲームをやる時間を減らそうとする企業たち。それが競合だ。

 

 

所詮、「同志」のなかでしのぎを削っても、限りあるパイを取り合っているにすぎない。任天堂がかつてWiiで成功したのは、「ゲームをしなかった顧客」を取り込んだ、というのは有名な話だ。

お客さんは「研修」にを受けない代わりに何に時間を使っているのか?⇒OJTをしている。OJT支援ツールを提供する。

お客さんは「外食」の代わりにどこで食事をしているのか?⇒弁当を持ち帰っている。昼ではなく、夕食向けの弁当を提供する。

お客さんは「ホテル」でなく、何を利用して宿泊しているのか?⇒友達の家。他人の家を間貸ししてもらうサービスを提供する。

 

 

つまり、現代においては余暇や食事の選択肢がありすぎるがゆえ、究極的な資源である「顧客の時間」をお互いに削り合っている。

だから、「真の競合」とは、「時間の使い方が競合する」サービスであるということだ。

調べてみると、アクセンチュアなどがこれについてレポートを出していた。