Yukichi_Fukuzawa_1862福沢諭吉の「学問のススメ」を読み直してみると、平成に生きる我々とかなり感覚が似ていると感じる。むしろ、ブログになっていてもおかしくない。

タイトルを隠して読んだら、「どっかのブロガーが書いたの?」と間違ってしまいそうな位だ。

しかも、思い切り尖っている。

孔子を「孔子様は自らが蒔いた種によりしっぺ返しをうけた」と、こき下ろし、赤穂浪士を「暴行集団」と呼び、役所を「お粗末な杓子定規アタマ」と、最高の釣り師としての認定を受けてもいいくらいだ。

(現代語訳 学問のススメ 三笠書房)

もちろんこのイメージは現代語訳のせいなのだろうが、原文を読んでも、まあ、妥当な翻訳である。

福沢諭吉センセイは、今であればアルファブロガー間違いなしだろう。

 

さて、その中で苦笑してしまったのは、今でも度々話題となる、「日本人の嫉妬深さ」についてだ。

同質性を求められること、多くの人が「中流」であることなどが嫉妬深さの原因などと語られる。

 

この際、本当に日本人が嫉妬深いのかどうかは追求しない。しかし、慶応義塾大学の創始者たる福沢諭吉は、「日本人は嫉妬深い」と言う。

 

”世の中で最大の悪は怨望である。怨望の源は自由の束縛にある。だから、言論は自由でなくてはならぬし、人の行動を妨げてはならない。

試みに英米と日本を比較したとしたら、人々の社会において、どちらが前述の大奥の有り様(怨望の渦巻く世界の意)に近いだろうか。英米ははるかに遠く、日本はまだこれに近いのではないか。”

 

そして、福沢諭吉は後にこう続ける。

 

”すなわち、現代日本はかつての大奥のようであってはならぬし、我が人民も御殿女中のようであってはならない。怨望や嫉妬を根絶し、自由な活動によって互いに競い合う勇気を奮い起こそう。

幸不幸、名誉と汚名など、いずれにせよ、それらが個人の努力の当然の結果であるようにしよう

そういう考えが背景にあると、私は理解する。”

 

現代日本を作り上げた人物の1人として、お札にも載るくらいのの有名人物であるが、なぜ彼がそう言われるのかが、「学問のススメ」によってよく分かる。

彼の考え方が、今の日本人の考え方の礎となっているからだ。