新潟県のどこぞの市長が、小中学生に「自転車に乗ると危ないから、出来るだけ乗るな」と言っているそうだ。
加茂市長「小中学生はなるべく自転車に乗るな」 専門家「教育機会を奪うな」
新潟県加茂市の小池清彦市長(77)が10月1日、市内約2千人の小中学校の児童・生徒に「なるべく自転車に乗らないように」と呼びかける文書を配布した。文書で小池氏は「自転車に乗ることは、きわめて危険」としており、どうしても自転車に乗る必要がある場合はヘルメットをかぶることなどを求めている。
同日付で保護者向けに配布された文書では、小池氏は自転車の事故をなくす一番の方策として「なるべく自転車に乗らないようにすることである」と述べており、自動車の通行量が増えたことを受けて、自身も自転車に乗らない方針であることを示した。
これ、本気なんでしょうか。本気だとしたら、むしろ市長がかなり危険な思想の持ち主だと思う。
教育機会云々の前に、小中学生の時に「自転車に乗れない」なんて、子どもたちをどれだけ閉じ込めたいんですか、と言わざるをえない。
そうやって、「危険だから◯◯するな」というルールが事故が起きる度に増えて、新しいことが何も出来ない、リスクにチャレンジしない人を育てる。とても正気の沙汰ではない。
子供の事故は注意していれば防げるし、交通ルールを身を持って覚えることはとても大切だ。それは、親や子ども自身の責任でもある。それを市長が「乗るな」と言ってしまうあたり、「ルール作成病」の病理の根深さを感じる。
これは、企業も同じで、「すぐにルールを増やそうとする人」がいる。
日報をきちんと毎日書かない人が何人かいる ⇒ 日報のルールをつくろう
挨拶をしない人がいる ⇒ 挨拶のルールをつくろう
営業で成果の上がっていない人がいる ⇒ 営業のルールをつくろう
汚いコードを書く人がいる ⇒ コーディングのルールをつくろう
馬鹿げてますよね?
もちろん、最低限のルールは必要だ。しかし、「ルール」というものはあくまで最低限に留め、自主性や責任感を重んじるしくみや教育で補完しなければ、そこで働く人はどんどん「考えない人」になってしまう。ルールに盲従するだけの会社員を作りたいのなら別だが。
私はこれが日本だけの現象なのかどうかは知らない。しかし直感的に、「自転車はダメ」という市長に、今の日本の停滞感の原因を感じる。