あるところに、「合理的でない経営者」がいた。
彼は、直感に従い事業を興し、ゼロから会社を200名の規模まで大きくした。彼の意思決定は常に独善的であり、どんなエビデンスを示されようが、「ピンと来ない」と言う理由で、社員の提案を却下した。
社員の多くははそれに対して不満であった。
「社長が何を考えているかわからない」
「自分勝手である」
そんな批判が会社内で次第に大きくなった。
しかし、社長の主導する事業は安定して収益を生み出し、それに対しては誰も不満を述べることはしなかった。
問題になっていたのは、常に「社長の態度」であった。
ところが、ある時社長は、何を思ったか、「これからは、社員の意見を聞こう」と、皆の前で宣言した。
社員たちは驚いた。
「何があったんだろう」と皆は訝ったが、社長へのほとんどの提案は受け入れられるようになった。
だが、社員の提案は、残念ながらほとんどがうまくいかなかった。
現場の微細な改善については機能するものもあったが、「新規事業」、「新商品」、「組織改革」など、大きな変化は、ほとんどがなんの成果も得られず、得られたとしても小さな変化にとどまるものだった。
中には「自分の責任ではない」と、言い訳をする者もいたが、殆どの社員は責任を感じ、社長へ一種の「負い目」を感じるようになった。
しかし、社長は一生懸命やらなかった人間に対しては容赦しなかったが、一生懸命やった人間に対しては責任を問わず、待遇も保証してやった。彼等はそれに感謝し、社長は次第に人望を獲得した。
だが、残念ながら、「社員の意見を聞こう」と社長が宣言した日を境に、会社の売上、利益は伸びなくなった。
給与が上がらず、業績は低迷すると、次第に辞職する者が増えた。
しかし、「自由にやらせてもらった社員」達はほとんどが会社をやめず、社長に忠誠を尽くした。
彼らの一人は言った。
「会社にぶら下がっていた人間たちが辞めてるだけですよ。かえって荷物が減っていいです。」
その状態が4年、5年も続いたある日、社長は突如、「引退」を宣言した。
社員たちは驚きを隠せなかった。
そこで、役員の一人が尋ねた。
「なぜ引退するのですか、再建半ばではないですか。」
社長は言った。
「かつて私は、提案を受け入れない上司のもとで仕事をしていた。私はそれに腹を立て、会社を興した。幸い事業はうまくいき、200人という規模まで成長させることができた。」
「その頃は、憶えています。でも……社長は同じように私達の提案を聞きませんでした。」
と、役員は言う。
「そうだ。あの頃私は、「自分が正しい」ということを証明するために会社をやっていた。だがある日、それが虚しくなってしまってね。」
社員たちは皆黙っている。
「誰のための会社だ、誰のための仕事だ、それを考えた時、すでに会社は私のものではない、と思ったんだ。だから、皆のやりたいようにやってもらった。」
社長は続ける。
「今は頑張りが業績に結びついていないかもしれない。だが、やり続ければ必ずものになるものがあるはずだ。だが、私にはそれが何か、もうわからない。だから、私は道を譲ることにした。今までよく頑張ってくれた。もう経営がどのようなものか、皆にもわかっただろう。」
社員たちは納得していなかった。「なぜ社長が引退するといったのかが、全くわからない」という人間もいた。
社長は、「直感だよ、直感。すでに会社は私の手を離れた」と言い、腹心の部下に会社の経営を譲った。
その後数年、その会社の社員たちは一丸となって努力した。「社長の恩に報いるため」に皆、必死に努力したのだ。
そして、会社の業績は少しずつ上向き始めた。
劇的な変化はなかったが、確実に売上、利益の改善が見られた。
今でも彼等は「どんな立場の人間の提案も、やる気があればそれを採用する」という「不合理な」方針を貫いている。
だが、ほとんどの提案はなんの成果も生まないそうだ。
しかし、長期的な人材育成という観点から見れば、彼等のやっていることは決して不合理ではないかもしれない。
「人材育成にかかる期間がどれほどのものか、身を持って知りました」
いつも彼等はそう言うのだ。
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