「バックパッカー」と呼ばれる旅行者たちがいる。一般的には、低予算で、長期に渡る旅行をし、現地の人と触れ合う、といった行動をする旅行者のことを指す。
”バックパッカーとは、低予算で国外を個人旅行する旅行者のことを指して使われてきた言葉である。
バックパック(リュックサック)を背負って移動する者が多いことから、この名がある。日本語では「パッカー」と略すこともある。こうした旅行はまた、自由旅行や低予算旅行とも呼ばれる。”(Wikipedia)
最近、オフィスをAirbnbによって貸し出しているため、バックパッカーの方々に大変良くお会いする。(参考:Airbnb日記)
どの方も非常に楽しそうで、中には1年以上家に帰っていない、と言う方もいた。
さて、このバックパック旅行であるが、バックパック旅行は、「観光」とは対局に位置していると考える人が多いようだ。
”バックパッキングで重視されるのは「本物」の感覚である。バックパッキングは休暇であるというだけでなく、自己教育の手段でもあると受け取られている。
バックパッカーはツアー旅行がそうであると見做されるような「パッケージ化された」ものではなく「リアルな」現地を体験したいと望み、これがバックパッカーが反・観光客であると考えられる原因となっている。”(Wikipedia)
いわゆる「パッケージ・ツアー」や、「ガイド付きの旅行」、「観光地巡り」ではなく、「現地をめぐる、本物の旅」がバックパック旅行であるとの位置づけだ。
だから、「バックパック旅行」をする人は、一般的には旅慣れた人、旅行の上級者であるとみなされることが多い。
しかし、これに対しては批判もある。
”海外にいると、彼女みたいな日本人のバックパッカーによく出会います。彼等彼女等の多くが「海外でもビビらず冒険している自分は逞しくてカッコイイ」と思っており、数々の“武勇伝”を妙にドヤ顔で語るのです。
これ、ハッキリ言ってかなり危険な感覚だと思います。平和ボケしてるとしか思えません!”(ハフィントン・ポスト)
「海外は、日本人が考えているほど、安全ではない」と、この著者は言いたいのだろう。それも一理ある。
しかし、そういった論争とかかわりなく、私は、バックパッカーの方々と直接お会いすると、「世界は文明化されたのだな」と、しみじみ思う。
それは、かつて「旅」は、命がけであることが普通だったからだ。
世界はほんの一昔前まで、「町以外」は無法地帯だった。「日本昔ばなし」によく山姥の話が出てくるが、「旅人を捕まえて、食ってしまう」というエピソードは、本当にあったことなのだ。
だから、旅は裕福な者の特権だった。大部分の人は生まれた土地で一生を過ごし、そこから出て行くなど考えもしなかったのだ。
あるとすれば一生に一度、「メッカへの巡礼」や、「お伊勢参り」など、宗教的な理由での旅行をするだけだっただろう。
それに比べて「バックパック旅行」が可能になった時代はほんとうに良い時代だ。
庶民でも世界中どこにでも行くことができるほど、交通機関が安価に利用でき、どこへ言っても食べ物が手に入る。寝床も見つかる。治安が悪いところへ行き、金品を盗まれたり強盗にあったりすることがあっても、食料や水が尽きて「行き倒れにになる」ということはまずない。
バックパック旅行ができるのは、文明のおかげである。その人のサバイバル能力のお陰ではない。
だから実際には、お金を出して道中の安全を買う「パッケージツアー」のほうがより原始的な旅であり、「バックパック旅行」のほうが、むしろ現代文明の恩恵を受けているのだ。
バックパック旅行が始まったのは1960年台のアメリカからだという。黄金時代のアメリカ、世界で一番裕福な国からバックパック旅行は始まった。
そういう「文明化された世界」の落とし子が、バックパッカーなのだ。