それをお金で買いますか――市場主義の限界「金儲け」は悪なのか。この議論は遠く昔からある。最近では「金儲けは良いことである」と言って憚らない人も増えたようであるが、この傾向は必ずしも一般的ではないと思う。

多くの哲学や宗教では、「金儲け」を推奨してはいないし、むしろお金にとらわれてはいけない、と説いていることも多い。特に不労所得を得るような「金貸し」については、ほとんどがネガティブな評価をしているだろう。

なぜ、「金儲け」は悪であるとみなされるのか。そして、現代ではその傾向が変わってきているのか。

 

「金儲け」は悪いことではない、と主張する側の意見は概ね以下のようなものである。

 

  • お金儲けをすることは、世の中を活発にする
  • お金を媒介にして富の総量が増える
  • お金は、他の人の役に立っているかどうかを測るバロメーターである
  • 金儲けが悪い、というのは貧乏人の僻みだ

 

それに対して、「金儲け」は悪である、と主張する側の意見は

 

  • 誰かが儲けるということは、誰かが搾取されるということだ
  • お金より大事な価値観がある
  • 全員がお金持ちにはなれない。お金を追求すると不幸な人が増える
  • お金持ちは、人格的に問題がある人が多い

 

など、ちょっと調べるだけでもほんとうに色々な意見がある。私はこれを見て思う。いずれの主張も間違っている。

 

お金儲けに、善も悪もない。単なる現象である。

例えるなら、「重力」を見て「人が落ちて死ぬことがある力だから、悪だ」という人もいれば、「水力発電に使える力だから善だ」という人がいる。この議論は成り立たない。

 そうではなく、問題にされるべきは「お金儲けの動機」である。これは人間の意図の話であり、善と悪が存在する話だ。

 

さすがに、「金儲けは良いことだ」と言っている人でも「どんな金儲けでも良いこと」とは思わない。逆に、「金儲けは悪」という人も、「利益を出すこと」を否定すれば、共産主義にならざるをえない。共産主義はすでに失敗が明らかである。

 

したがって、「金儲け」を良いことだ、と主張するには動機を明らかにする必要があるし、「金儲け」を悪いことだ、と主張するときはその動機に対しての批判をしなければならない。これはモラルに踏み込む問題だ。

 

マイケル・サンデルは「最近ではお金で取引してはいけないものまで、お金で買うことができるようになった」と言う。

これは、「動機なき金儲け」が増えている、と主張しているように私は感じる。

 

(2014年4月7日加筆・修正)