給料が、10月から変わった人も多いのではないでしょうか。
自分の取り分が上る人もいれば、上がらなかった人もいるでしょう。むしろ、下がってしまった人もいるかもしれません。
ところで、他の人がどの程度もらっているのか、気になりますか?友達がどの程度もらっているのか、気になりますか?
一般的な経営者はみなさんに、「自分の給料を気にして欲しい」と思っています。そうでなければ、「お金」という強力な権力を使うことができなくなるからです。
お金の最も効果的な使い方は、他の人と「ほんのちょっとだけ差をつける」ことです。
あんまり差が付き過ぎると、やる気を失う人のほうが多くなって、全体のパフォーマンスが落ちます。
逆に、差が全くないと、今度はごくごく一部の出来る人達が不満を持ちます。ですから、出来る人達が「ほんのちょっとだけ多くもらえる」仕組みを作った会社が、お金という権力をうまく使っているといえます。
適度に差があり、皆がそれに対して鋭敏になっている状態が、経営者としては社員をうまくコントロールできる最高の状態なのです。
でも、最近は「お金にも権力にも興味が無い」という人が増えています。
給料の上げ下げに全く反応しない。給料が高いからといって働くわけではなく、安いからといってサボるわけでもない。
いわゆる、「欲がない」状態の人です。
こういう人は、「会社にとっては非常に扱いづらい人」です。「エラくなること」や、「お金」に最低限の反応しか示さないので、経営者はどうやって社員をコントロールしたら良いのか、わからないのです。
わからないものを、人は怖れます。ですから、こういった人はサラリーマンとしては出世できません。
「アイツは何を考えているのかわからない」と言われたり、「やる気が無い」等と言われたりします。あまり良くない状態ですね。
しかし、本来、「無欲」は素晴らしいことだったのではないのでしょうか?
仏教の始祖であるゴータマ・シッダールタは、「世界における欲と憂いを捨て去るべき」と臨終の際に述べたといいます。
無欲は善。無欲は解放。
昔話では、欲深い人は、最後たいていひどい目にあう。それは、真理だと思います。
だから、「無欲」を責める人は、本当は「欲がない」事を責めているのではなく、「無気力」を責めているのでしょう。
欲望によらなくても、志によって気力が出せる。
そんな人が「自律している人」と呼べるのかもしれません。
無気力な人に対しては、「欲を出せ」ではなく、「志を持とう」の方が、良い表現である気がします。