折立連絡所(1356m) – 太郎平(2327m) – 薬師沢(1912m) – 雲の平(2552m) – 高天原温泉(2126m) – 雲ノ平(2552m) – 三俣山荘(2545m) – 双六小屋(2547m) – 鏡平山荘(2281m) – わさび平小屋(1403m) – 新穂高ロープウェイ駅(1104m) ※カッコ内は標高(地理院地図より)
テント張って、湯沸かして、フリーズドライ食品食って(沢庵和尚理論により激ウマ)、ソッコー寝ました。
(part5から続き)
翌日は、朝4時30分出発予定でしたが、15分遅れての4時45分出発となりました。
たっかんから独り立ちしたオレは、今は何でも自分でやんないといけなので、3時に起きて準備してたのですが、
15分遅れました。何が15分遅らせたかって言うと、スパッツ履くのに時間かかったからです。
スパッツとは、レインパンツとブーツの間に装着して、ブーツの中に水や泥が侵入するのを防ぐものです。
一見カッコつけてるだけに見えるのですが、とても重要なアイテムです。登山道具に無駄なものはひとつもありません。
はじめて登山道具揃えてる時に、これは安物でいいやって思って一番安いヤツ買ったのですが、
ジッパーが小さくて、一旦泥かぶるとメチャメチャ締めづらくなるのです。やっぱり安物には安物なりの合理性があります。
その後も、履くのに苦労する場面があり、今回の登山で買い換えることを決意したのでした。
こうやって、経験して登山者としてのレベルもちょっとづつ上がっていくんですね。
この日は、雲ノ平(2552m)から三俣山荘(2545m)に行き、そこでデポって黒部五郎岳(2839m)に登る予定です。
途中に大きな谷があります。雲の平という呑気な名前ですが。どこからどう行ってもこうなのです。
とりあえずは、雲ノ平から三俣山荘へ行きます。約3時間半のルートです。
早朝は霧の中。この日の天気予報は雨でした。(歩いて5分、すでにたっかんはあんな先の方へ。)
祖父岳に寄るルートもあるのですが、天気が悪いのパスしました。
雲の平は相変わらず平坦からはじまります。途中雪渓がありました。
そして、やはり急峻な崖を降り、谷底へ。ここ実は黒部源流の最深部です。
記念撮影。(これたっかんが独りで自撮りしてます。)
そして、対岸の山を登り返し、
着きました。三俣山荘。
この時点でかなり雨が強く降りだしてきました。(たっかんが山荘の中から撮影)
ここ三俣山荘は、三俣蓮華と言われてるのですが、三俣という名前がついているだけあって、3つの重要なルートの交点になっています。
そして、ここを起点に北アルプスは3つの山塊に分けられています。
烏帽子、針の木、鹿島槍ヶ岳へと続く白馬連峰方面
薬師、立山、劔岳へと続く立山連峰方面(このルートを今回辿っている)
槍ヶ岳、穂高、焼岳へと続く穂高連峰方面
その中心部がこの三俣蓮華なのです。どのルートから来ても最低2日かかります。
と、言うことをこのブログを書いている最中(part5とpart6の間)に、
黒部の山賊 アルプスの怪 著者 伊藤正一 という本を表参道のABCで偶然見つけて買ったら、書いてありました。
実は、この本の著者伊藤正一さん(大正12年生 在)こそ、今の三俣山荘をつくった人でもあり、この北アルプス最奥の地である三俣蓮華および黒部渓谷を広く知らしめた人なのです。
今回で三俣山荘は3回目なのですが、そこにこの本が置いてあって、いつもツマミ読みしていて、強く印象に残っていたのですが、
いざ外界でじっくり腰落ち着けて読むと、鋭い洞察力と本人の行動力、北アルプス愛に溢れていて、これは名著だと思わざるを得ません。
実際昭和39年に発行された本がこうしてまだ売られてる(どうやら最近再発行されてたみたいです)ってことがそれを物語っています。これ100年本(※楢語 本第二08)です。
(part 7へ続く)