あなたは、上司にゴマをすったことがあるだろうか。
一般的に、「上司にゴマをする」のは、あまりカッコイイこととは思われていない。どちらかと言えば、「実力がない人」が、「ゴマをすって出世」というステレオタイプが多いのではないだろうか。
しかし、「ゴマすり」の実態は、そのようにカンタンなものではない。
様々な会社に訪問し、第三者として会社の人間関係を外から見聞きした。そのおかげで、私は数々の「ゴマすり」を見た。そこで、今回はリアルな「ゴマすり」について書きたいと思う。
1.「ゴマすり屋」が存在しない組織はない。
多かれ少なかれ、ゴマをする人間はあらゆる組織にいる。
いや、もっと言えば「ゴマすり」の定義を「人の気に入られるように振る舞って,自分の利益をはかる。おべっかを使う。(Weblio)」とすれば、ほとんどの社会人は「気に入られようとお世辞を使う人」の範疇に入る。
だから、人のことを「ゴマすり」と非難してはいけない。私やあなたもそうなのだから。
2.「好かれるゴマすり」と、「嫌われるゴマすり」が存在する
だからといって、「ゴマすり」が好かれているとは限らない。下手くそなゴマすりは、嫌われる。
「あからさまなな世辞」あるいは、「上司や権力者だけにゴマをする」といった行為は、コミュニケーション能力の欠如とみなされ、上司にも部下にも毛嫌いされる。
どうせおべっかを使うのなら、バレないように、全員に使おう。
3.出世している人のほとんどは、「ゴマすり」がとてもうまい。
「おべっかを使うのは、当たり前だろう」という社会人はとても多い。「大人なんだから」という自嘲気味の言葉とともに。
実際その通りで、出世している人の殆どは「ゴマすり」がとてもうまい。「ゴマすり」というと聞こえが悪いが、要するに人をいい気持ちにさせるのがうまいのだ。
それをよく言うと「ホスピタリティがある」という表現になる。
物は言いようだ。「ホスピタリティがある」人は出世する、といえば、誰も嫌な気持ちはしない。
4.「イヤな奴だが、仕事はできる」という評価は、漫画の中だけ。
「アイツはイヤな奴だけど、仕事は出来るよな」という評価がもらえるのは、ドラマか漫画の中だけであり、実際にはイヤな奴には協力者が出来ないので、仕事ができない。
「おべっかを使いたくない」と気張る人もいるが、「イヤな奴」と認識されてしまうと、大変損をする。
5.でも、できることなら、「ゴマすり」を使いたくないという人は大勢いる。
孔子はかつてこう言った。
巧言令色鮮なし仁(口語訳:おべっかを使う人間に、ろくな人間はいない)
偉大な孔子先生が「おべっかはイカン」と叱っているのだ。
また、徳川家康も、
よくよく人の善悪能否を たずねしるべし(意訳:ほんとうに良い人材は、おべっかなど使わない)
と、言っている。
さて困った。私はどうすればいいのだろう?実際には、こういう悩みを持っている人は結構多い。
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上手な「おべっか」を使う方がいた。某有名企業の役員の方で、人当たりがよく、人望があると評判の方だった。
私が見た限りでは、その方は部下にも上司にも「お世辞」を使いまくっており、私の第一印象は、「口のうまい人だな」というものだった。
しかし、次第に私はひとつの疑問にあたった。多くの部下の方が、「その人と話すと、非常にやる気が出る」と言っていた。また、その方の上司は、「アイツは頼りになる」と、太鼓判を押しており、文句なしの人材だと評価されていた。
私はその方に、「なぜ、そんなに褒めるのですか?」と率直に聞いてみた。
彼はこう言った。「人には、必ずいいところがあります。そこを見つけたら、褒めたくなるじゃないですか。本当に凄いんだから。でも、本当に凄いところしか、褒めませんよ。こういうのは、正直に言わなくちゃ、単なるお世辞になってしまいますからね。」
単なるお世辞、おべっか、ゴマすり、なんといってもいいが、そういった巧言令色と、「褒める」ことの境界線は、実は言葉の問題ではなく、褒める人の心の問題である、というのが、私の結論だ。